EXLIGHT vol.1 (spring / 2021)

「三重県伊勢市のインタラクティブスペース2NICHYOUME PARADAISEとその2FギャラリーNEO ALONEのプレゼンツによる季刊発行予定のZINE “EXLIGHT”のvol.1になります。
創刊第一弾は、”Ohiana”作品をリソグラフ印刷に落とし込んだ全22Pに”スポーツガーデンひ”によるJBの声?音のみ???を使用したゲロンパなオリジナル音源100曲を収録したCD2枚組となります。」

“スポーツガーデンひ”によるJBの声?音のみ???を使用したゲロンパなオリジナル音源100曲を収録したCD2枚組を聴いて…
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何気なくラジカセで再生しながらトイレに入ってると、目の前に二人のJBが現れて街中でなにかを切実に声に出して伝えようとしている。しかしそこには誰もいない。
そういう風景が浮かんでは消える。
またなにげなくかけたままにしていると、今度は森のなかに姿を表すJB。
(無数に鳴らされるサンプルのひとつだけが突然JBの全身のイメージとして現れて)
マイクに空気なのかまだ有料になっていないお会計した後はスーパーで取り放題の透明ビニール袋かなにかがガサガサガサガサしてる?いやそのなかに空気…
油断して下山すると刺し傷が数カ所ついていた。

表現の北極は氷菓子
JBのサンプルだからなのかはわからないけど、作り手の叫びがJBのサンプルに憑依したような、村上ショージのギャグのルーツにJBを観たような…(??)

chirstina kubisch/magnetic flight

電子ドローンが途中ホロホロして、ただスピーカーの物理的にポコポコ言ってるだけのシーンが良かった。楽曲から音へ、音から楽曲へのトランスフォーム場面は本作に限らずグッとくる。

トランスフォーム。楽曲から音、音から環境、意識から無意識、身体から内省、バイブスから非バイブス、言語から非言語、トランスフォームからンスフォン、ロマンスからノスタルジア、アジテーションからネグレクト、自立から投薬、何かになることは瞬間だけで切り取られるものではなく、気づいたら何かになっているということもあるし、リスニング後に自分の中で変容することもあるだろう。映画ニーチェの馬での絶え間ない暴風の応酬は、音が変わらなくても吹きさらされ続けた鑑賞者の中でただの風以上のものになるような、変わらなさによって変わるものも。

自分はアルバム作ってると曲を意識させるような音が多くなりすぎてもう少し無意識というか聴いてないポカっと空いたホールみたいな余白が少なくなりがちで。曲単位で作ってると意識が前に来がちだけどもアルバム構成となるとその意識的な部分が過剰に前に出てきてしまうので無意識多めに調整する、ということが良くあります。

本作はimportant recordsというレーベル。ラディーグやベルトイアやルシエなど大御所もリリースしているところ、レーベル疎いから全然知りませんでした。

「ポゼッション」アンジェイ・ズラウスキー


某日のメモから

新文芸坐で二本立て。「アングスト/不安」は主役が友人に似てるように見えたり、音楽、内容も楽しめたが、その次の「ポゼッション」の方がはるかに凄まじかった。

前々から観たかったがなかなか機会がないままだった「ポゼッション」よりも先に、昨年冬エアコンが壊れていることに気が付かずに、自宅へ遊びに来てくれた先輩が持ってきてくれた「シルヴァーグローブ」を見ていたこともあり、この映画について必ず言及されるであろう、アジャーニの怪演(というか頑張り?)だけにとらわれてしまうことなく、また、監督自らが実人生〜離婚〜裏切り、不信や、戦争、思想、について思いを馳せながら、最後の15分だけがファンタジーだという韜晦?は知らず、つまり前知識なしで素直に鑑賞し、同じ俳優が同じ役周りとして出ているジョン・カーペンター「マウスオブマッドネス」との相関から、これは邪神誕生の映画ではないかという気がしたのだった。
「銀行に入れる時はクリーン、出すときは汚れている」と浮浪者(野次馬)に叫ばせていることから、一度(向こう側へ)入れたXが(この世に)出る際、あの様に汚れて(奇怪な姿として)現れるという…

地下鉄でアジャーニが泣き叫ぶシーンから、もう何年も前に観たきりだけど、「灰とダイヤモンド」、もがき、踊る(ようにみえる)シーンばかり繋いでゆけるのではないかとか(いやそれができたとして観たいかという)。

あの地下鉄の反対側では、Zero setが鳴っているなんていう、騒がしい地下鉄の映画なら、観てみたいかな。

「神は疫病である。」
「疫病によって人は神を知る」