2021追想

2021ベスト、の名の下に

やっと終わった…
もう2021から1ヶ月経過、数年来取り組んでいたguitar viol製作(改造)が電化に課題が残るがやっとほぼ終了、そろそろ次のステップに行きたい。
さて昨年を振り返ってみるか、と。しかし、

昨年中も意識的に音楽を聴いていたでもなく、戯れにele-kingとか手に取るとこんなに収穫多い年だったんすか?ほんと?と思いますわ。シティポップ云々も今更でだから何?としか思えず、アナログ価格の高騰の呼び水となって迷惑、としか。

リスニング習慣が旧態かつ旧世代で記憶力が減退しているので、モノ→所有のステップ抜きでのサブスクやデータ拝聴では聴いた時点でのいいなこれ!の後は記憶に残らず、モノ所有してても聴かずに放置してたり、1度しか聴いてなかったり、聴いても忘却してたり、よく聴いたものでもあのジャケの何曲目ぐらいとか曖昧な記憶ばかりでして。

ですんで、小手先での2021雑感としてお茶を濁すべく、棚に整理されずにその辺に雑多に積まれてるCDとレコを列挙してみたら以下のように。

【CD】 下記以外にも過去作等々買ってるが昨年もの中心に

JUANA MOLINA/ANRNAL EN VIVO EN MWXICO
10年以上前ロンドンの教会でライブ見た方、自分にとって久しぶり。変拍子の曲への消化の仕方が上手い。リズム解釈が自然で変でかっこいい。アルゼンチン音響派から随分経ったな。

69th world/yXIMALLOO
師匠たしかWindows98のPCで作ってるはずなんだけどどうやってこの音出してるんだかわかんねえ。面白い。

PERSONA/PERSONA
ブラジルのヒタ・リーのバッキング演ってた人の70年代再発。まあジャケほどのインパクトはない。

NILS FRAHM/OLD FRIENDS NEW FRIENDS
これはジャケ最高に好き。2枚組CD1枚目は物音と弱音ペダル踏んだピアノの音のバランスは好き。

VANISING TWIN/THE AGE OF IMMUNOLOGY
これじゃなくて最新盤があって良かったんだがすぐ出てこない、どこ行った?
あ、これだ、
VANISING TWIN/GEKKOU
良かったはずだが聴き込まぬまま年が明けた。改めて聴かねば。

1000円再発CDブラジルシリーズ何枚か
良いのたくさんあったがこれ以上の列記は控えとく

Anna Yamada/MONOKURO
もう天才。好き。アナログモノシンセ弾き語り。音程が素晴らしく良い伸びる声。

考える目/斉藤友秋
うまくて嫉妬する。

Satomimagae/Hanazono
素晴らしい。素晴らしすぎる焦点に絞られてる感じが却って物足りなく感じないでもない。

SAM GENDEL/inga2016
御多分に洩れず好きなんだが、一挙にたくさん出すぎて追えてない。

MIMIC WORKS/杉林恭雄
後述

INOYAMALAND/Trans Kunang
俺は1stのDANJINDONPOJIDONリアルタイムで好きなんだよ、自慢。もはや普通のカシオトーン弾くだけでもアンビ足り得る山下康に憧れる。

Phew/New Decade
カッコいい!もうこれは外せない、特に2曲めまでの感じと最後の前の曲だったっけな?何回も聞ける。凄い人。で話すと気さくな感じがまた素敵。いや話したことないけど。立ち姿がまた凛としてかっこいいの。

MIHARU KOSHI/VOYAGE SECRET
こちらも屹立し年齢超越したキュートネス&隠しフレンチエロスの孤高のお姉さま。
フレンチもいいがオリジナル曲の独自さはこの人しかできない世界。

Brian Wilson/At My Piano

これを忘れてはいけない。ビーチボーイズの名曲の数々を、ピアニストなわけではないブライアン自身のピアノ演奏で聴かせる歌の無いインスト作品。当然アンビエントでも音響作品でもないです。でもほんと好きな作品です。これからも何回も聴くと思います。

【レコード】 下記は再発を中心に。中古で買ったフランス現代音楽やハワイアン等々も良かった。

PALE COCOON/繭
金沢の80年代デュオ?の再発。昔ソノシート持ってた。ピアノラレコードの人に勧められて買ってみた。すごくいいとまでは思ってないんだが。

斉藤友秋/はじめからここに
上手くて嫉妬する…

robert mills/related ephemera
これは何回も聞いたがすごく良かった気がする。また聴かねば。SP盤等の音から再構築してるが、酩酊(後述)なんかとはレベルが違う。いい。

BOBBY BROWN/THE ENLIGHIETING BEAM OF AXONDA
犬を抱いて海辺で自作楽器に囲まれてるジャケが印象に残るサイケ名盤のひとつ、のどういうわけかアナログ再発。思ったよりずっと素敵。また聞き返さねば。

BRIGiTTE FONTAINE & ARESKI/Theatre Musical
73年に制作されていたものの再発だが、未発表?だったんだっけ?すごくいい。大好き。

After Dinner/1982-85
CD持ってたけどアナログ再発。CDで聞いたよりずっと印象が深い。横川理彦さんも参加していたこのグループ、マッドエンジニアの宇都宮泰さんの音響工作がクる。何度も聴かねば。

MONO Fontana/cribas
アナログ出たんで買ったけど、前に発表されてたよな確か。これも良かったわ。また聴かねば。

番外)酩酊/サード、かなんか。
SP盤のサンプリングで再構築した失われた日本の音風景つう立脚点に興味を持ち、試聴し気になり購入したが、広義のヒップホップマナーの先までは立ち入っておらず、大昔に第三世界の音楽を表層だけ取り入れたワールドミュージックもどき(なんかディープフォレストとか…)に聴くような植民地主義?とか浅めのエキゾシズム?とかの印象を聴くほどに感じた。俺には合わず。なんかイヤ。

最近でもっともスゲーと思ったのは、知り合いの森氏のシネルパの音源をネットで聴いてたときに途中からアトーナルな電子音がカットインしてきた時で。
え?シネルパってこんなに凄かったか!さすが山我静さんポラリス(シンセ)こんなふうにも使うのか!と思ってたら、同時に繋がれたCDデッキ内のくじらの杉林恭雄さんがsystem100で製作した初期電子音楽集が勝手に鳴りミックスされてた様子。曲に寄り添わない偶然のミックスの意外性が一番面白かったし、自分の制作する音楽も完成!と思うより前の有象無象の妄想状態が一番面白いのでは?とも思う。

結局、現存する作品よりも偶然の組み合わせに遭遇する新鮮さや、夢想する脳内にある形なきモヤモヤしたもの、何ら因果なき新鮮さに出会いたいといつも思っている。脳内のモヤモヤは消費できないし言語化できない。

それと自分内に無かったものとの出会いが70〜90’s半ばに活動した映像作家の中村雅信さんの音楽と映像のリズム感が最高だった。差異のある反復映像が繰り返されその映像リズムが音楽と相まってもう映像版ミニマルミュージックで圧倒的、多重露光の複数時間並存する作品も素敵!音楽も既存のレコードの最終溝のループ音他をオープンリールテープで回転数変えたりして自分で作成編集したのとかも使っていて新鮮なものとして聴いた。

わたし文章長くなりがちなのに大量のテキスト追うの好きでなく、またテキスト表現も好まず、なのでモコモコさんの連日の投稿も一瞥しただけでもう追う気がなくなるし、ほかの方々の年間ベストもサラッと読めばまだいい方で、読んでも読んだそばからすぐ忘れてしまう。自分の投稿(中断中)も基本ワークショップでの受講録を記してるだけ。映画も文学も自作の歌詞もみなストーリーや明確な脈絡あるものではなくどこかに跳ばされる恍惚と愉しみに淫するのが好きで、語ることばを持つ方々にはコンプレックスとルサンチマンばかりでしてどうも。
俺はさあ、ギターを最初はさだまさしやアリスでおぼえて嬉々として弾いてた中坊から始まったんだぜ、最低だよなもう。だから語るべきものなんて何にも無いんですよ、ねえ。

今日は異常に靴下が下がる病いに冒されてしまいたいへん難儀した。
少し歩くとまもなく靴下のかかと上部分がみるみるかかとの下へとずり落ちてくるのだ。そのため頻繁に立ち止まりずり落ちたのを上げねばならず、済まして歩き出すとまた直ぐにずり落ちてきてまたそれを…の繰り返しなのだ。何もかもこんな調子なのか俺は、と嫌になる。

誰が読むんだこんなの。

復活!栄光の東映ヒーローvol5 TOEI METAL HERO COMPLETE SONG COLLECTION

ブルースワットより

のっけからビーファイターカブトOPにマイケルBEAT IT歌謡をふっかけられる。この手の男性歌唱における眉毛の太さ(実際に太いのではなく声の比喩)が一般的だった時代を次の世代は信じらないだろう。特撮曲で好きなのは仮面ライダーブラックRXだがあれは太眉というよりダンディー。眉毛の太さといえばあの人、初代仮面ライダーの印象のせいだと腑に落ちた。調べたところビーファイターとブラックRXの編曲家は同じ川村栄二でした。他に手がけた作品で気になった仮面ライダーZO(初耳)の「愛が止まらない」はサムネイルと同じようにハードレインの中絶唱したいハードレイン歌謡(たけし「ハードレインに愛はずぶ濡れ」に代表される)で最高。

次のdiscのジャンパーソンOPを聴く。のっけからマイケルBEAT ITでギターを弾くバンヘイレンが奏でてると思われるギターリフにまたか!ちなみにブルースワットはかなりぎりで記憶あり。

ブルースワット「君は眠れ・そして歌え」のどっぷり歌謡がまさかの浜圭介作曲!浜圭介といえば初めていったスナックでカラオケをしていたときにご主人から浜圭介「おんなみち」をリクエストされて歌えなかった悔しさが蘇る。スナックで「黒の船唄」を歌ってみてください。カラオケ伴奏に気味の悪い猿の鳴き声みたいな音が入っていて好きです。「黒の船唄」作曲家である桜井順さんの訃報が先日ありましたが、昔自分がエントリーした音楽コンテストの審査員としていて、1番に評価していたのがギターとエフェクター1つで勝負するソロギタリストのガチガチのノイズだった事が衝撃でした。

そもそもメタルヒーローって何だと考えるとロボコップにとりあえず辿り着いた。ロボコップは警官だった主人公がロボ化手術後の最初のカットから最初意識を取り戻したように始まるノイズがのった主観カットの長回しが妙に印象に残っている。映画は終始ロボコップの主観が度々挟まり主人公の主観とともに物語に没入していく。生まれる赤ちゃん目線とか。意識の生まれを主観でやるのは、ああ産まれたんだなとなるんで便利だが、ロボコップの場合その誕生の時点でこの主観がこの先ついてまわる予感があり、ひとでなくなってしまって生きる悲しさがもう序盤から。悪党である社長を殺した後に挨拶をして去るロボコップのラストカットが主観だとそのまま自分はロボコップとして生き続けるはめになるので危ないとも思った。

ロボコップは機械であるから視界に情報表示がされているが、主人公の主観を自由に挟むには便利。主観カットであるよと明らかに分かるように何回も登場させるのはPOVならカメラをもっている、ロボコップならPC処理のように意識の間になにか挟まらないと長回しは結構難しい気がする、本人が健忘症や超能力に目覚める設定だと主観が増える気もする、のはナゼ

主観の話しかり曲紹介のふりして自分の知識の風呂敷の外のたいして整理されてもないもやもやを話すこと、多しだがここらへんのゾーンの話を人とやいのやいの言うのは(勘所が正しいかはさておき)楽しく、一人で書いていると不安感しかない。一人だと文章を書くでもしないとこのモヤモヤは中々に遠いので書いてみてるけど、これがこうじて話の途中で良い飛び石を置けるようにでもなればよさや。

Marhaug&Asheim/Grand Mutation

「壮大な突然変異」とでも訳せそうなアルバム名について考えたときに思い浮かぶのは、まず牙のようなパイプが無数に剥き出しになった馬鹿のように巨大な怪物楽器に”organ”という身体器官名と同じ名前が与えられていること、そしてDNAである。

Asheimが演奏するオルガンはMarhaugの電子楽器という突然変異の誘発物質を吸収してmutationする。ミサや祈りの場で厳粛な演奏をしてきたであろうオルガンは連綿と続いてきた宗教的、コミュニティ的役割が刻印された遺伝的本能から解放されて新たな自我を獲得する。潮が満ちる様に現れた音像は破壊と再生を謳歌する一方で、オルガン自身の身体上生成できるコードと音色、また配置された空間音響の制約から聴取者は祈りに似た情感を喚起されざるを得ないという、この対がスペクタクルを呼ぶ。

上記のように自分にとってはお固い電子音楽というよりは、怪物映画を観るのも良いけどこちらも良いよ、と謎の代替案を提示したくなるような意外にもスペクタクルに満ちた内容で面白く、ディスクユニオンで迷ったらTouch、というここ何年かの迷ったらTouch、の判断に間違いないなと確信した次第だが、これは実をいう電子レーベル名をmegoとtouchしか覚えられないだけなのである。

思うにオルガンより大きい楽器は存在するのだろうか。私の小学校は古関裕而という戦後音楽の重要人物にゆかりのある土地の近くに存在しており、地元には立派なパイプオルガンが設置されている音楽ホールが建っていた。小学校は合奏合唱祭という年に一度の催し物があり、各クラスが保護者の前で合唱を披露するのだが、そのステージのバックにはいつも巨大なオルガンが仏像のように鎮座していた。

合唱祭の唯一の思い出は合唱の途中パートにセリフがある曲を披露したこと。自分のセリフは「おーい恐竜さん!」というものであった。

本作を作った2名がコラボレーションを始めたのはノルウェーのオスロのall earsという即興音楽フェスがキッカケだったそう。2022年は1月に開催される予定で、叶うならば是非観てみたい。2回目のモデルナ接種で傷んだ腕を摩って突然変異を待っているわけにはいかないのである。

鷺巣詩郎 / Human Love

2018年に円谷プロの特撮ヒーロー番組『電光超人グリッドマン』(1993)の続編がアニメ化すると聞いたとき、一部の特撮マニアを除いて期待の声はあまり多くはなかったはずだ。電脳空間を舞台に怪獣の姿形をしたコンピューターウィルスと戦う電子生命体…といった世界観は今観るとちょっとだけSynthwave的で、その発想はインターネットの普及より数年早かったものの、そのサイバーワールドの描写も話の展開も正直大味だし、誰にでも進められる傑作ではない。が、(この作品では怪獣を作り出す側の)少年の異常に情緒不安定な心の描写は『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)にこれまた2年早かった。

『SSSS.GRIDMAN』(2018)は『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)でおなじみとなったGAINAXから独立したTRIGGERが制作したアニメで、ご覧の通り日本のいかにもなアニメーションの画風で着ぐるみ+ミニチュア特撮を『シン・ゴジラ』(2016)以降のCG技術を駆使して披露、それだけなく同じ円谷作品…それも旧来の怪獣特撮マニアからは比較的軽視されがちだった平成ウルトラマンシリーズからの文脈のサンプリング的引用を随所に散りばめ、『エヴァ』の先祖返り的アクロバットなメタ展開をやってみせた傑作となった。
そして本作の劇伴を担当したのが、『エヴァ』『シン・ゴジラ』と同じく鷺巣詩郎さんである。

『エヴァ』の庵野秀明監督が特撮ヒーロー物、特に『ウルトラマン』シリーズの影響が強い事は、ここを見ている方々もご存知の事だろう。鷺巣さんの親御さん・鷺巣富雄は円谷プロの競合他社として1970年代に『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』『電人ザボーガー』など多くの特撮番組を手がけたピー・プロの創業者で漫画家でもあり、物心ついた頃から特撮に(裏方の側からも)慣れ親しんできた事が各所で多く語られている。
本作劇中、主人公たちの日常シーンではほとんど劇伴がかからない。1話の前半ほぼ日常音と声のみで話が展開されるのは、鷺巣さんの要望でもあったという。これについてはこちらのインタビューでも語られているが、東宝『ゴジラ』をはじめとする初期の怪獣映画が通常の生活シーンでは極力BGMが抑えられている事にも起因しているようだ。

さて、今回主題にしているのは主題歌ではなく、その劇伴曲。全12話中折り返しの第6話、突然主人公の前に現れたとある人物の口から、自分達の住む街にどうやって怪獣が現れるのか、その秘密が打ち明けられるシーン。ここに挟まれるいかにも1990年代的な粗いポリゴンCGとともに、大々的に使用される少し牧歌的なテクノトラック。
劇伴はこの楽曲のバージョン違いが多くあり、SMAPなどの仕事でおなじみCHOKKAKUがアレンジを担当するEDMバージョンもあるが、このオリジナルはあくまでテクノでなくテクノポップを意識しているという。1980年代から歌謡曲の仕事を多く手がける鷺巣さんならではの発想だが、図らずしてSynthwaveになっているようでちょっとBPMが140と早い(ということは、ピッチを遅くすればまさしくSynthwaveになる)。

思い出してみると、旧『エヴァ』のサントラにちょくちょくR&B曲が挟まれており、鷺巣さんが同時期にMISIAなどのプロデュースを手掛けていた事を考えると自然ではあるが、当時はエヴァのようなオタク系アニメとは相当に水と油だった印象がある。
で、本作の好評を受け制作されたシリーズ続編『SSSS.DYNAZENON』が、今2021年夏に全話放送終了したばかりだ。そう、この『SSSS.DYNAZENON』にもこの手の英詞曲が収録されていて、しかも劇中超いい感じに挟まれるわけだ(下のPVを参照)。肝心の曲調もどこかMTVを彷彿とさせる、擬似の90s洋楽というか…当時だったら首を傾げていたような洋楽風の楽曲が、時代も一回りしてようやく違和感が無くなったわけだ。

Thylakoid Hubcaps N ‘Chloroblast !! – Rubber (() Cement

WUNJOA<== LOO
Auop==932
qruue = = วว
sod<==tวว
PIo<==Eวว
Peasds<== 7วว
poods OK== ICc
erres De gOttoiteoe uesunu ou os puppe
Dre ddn dir Stteuwuevee To dprnod e Du o lai
oDodie d podes to dut tdeS uootoos dot een Buusn coott stuu epthrip wes nox
Pdudtpuese Daae suese Da rlu duou sain teutoxe DueDetiue otse
COsion Dax uig put geetpot nennoct euretet atst u purots oq uiM pouueyo ICIW Mou ouL
dre os euetteser Tavin stort pay tttuetutpou Mou oyu to mhou e purs
Pun ee in geoedde pote TEu spie ptdurs duuueut shiw oup equeye os
VDdDueeu eiwosstdpoddes so tut snejep iq
TopDe utBudao i
Cie ccon Lus ln tttotuos s mso s
Cep LuDee rsote se ttoGttoeeuo ln peoom
SDianbe setpitttus puu tstee crcou g gqe ln tttostos s! so
. aracard pue
SSouetuc ou sit Tn etour teads ous spowr stuoudsod urspow su

ケイブンシャの大百科シリーズ:怪獣もの知り大百科

2013年、レーベル<New Masterpiece>を立ち上げるちょっと前の話。全体的にダイジェスト感が強く物足りないものの、kaijuと巨大ロボットの市街地での戦闘というバカみたいな構図をあのハリウッド様が大真面目に演出した映画『Pacific Rim』で発奮した僕は、その足でこの興奮を早速絵にしようと書店を廻ったが、映画の資料本は何処にも置いていなかった。当時のパンフはkaijuの写真がほとんど載っておらず、設定資料集も凝りに凝った装丁の限定版が即完売し、通常仕様の普及版を手にするには数年待たなければならなかった(日本語翻訳でこの普及版が出たのは3年後の2016年末!)。とりあえず代替になんか無いかと入った「まんだらけ」で目にしたのがこの本。発行は1984年、リアルロボットアニメ全盛期で巷の怪獣熱もとっくに醒めてはいたものの、リバイバルブームもありバンダイから怪獣のソフビが発売され、マニアの熱望も高かったところに新作『ゴジラ』の公開が待たれていた頃の子供向け書籍である。
この本は知らなくても、ある程度の世代なら”ケイブンシャの大百科”といえばだいたいどんなものかはわかるだろう。多少プレミアがついていたが、あらためてこの本を購入した。この本に限らずケイブンシャの大百科シリーズはすぐページがバラけてしまうのでその都度買い直していたのだった(これで3度目)。

この本は僕が小学生の頃に親に買ってもらった”怪獣図鑑”なんだけど、『ゴジラ』シリーズの<東宝>、『ガメラ』シリーズの<大映>、『ウルトラマン』シリーズの<円谷プロ>はもちろん、海外の初代『キングコング』(1933)、ゴジラの原型となったと言われている『原子怪獣現わる』(1953)のリドザウルスから、当時最新の映画だった『エイリアン』や『遊星からの物体X』まで著作権をクリアしフォローしていて、今では考えられない顔ぶれを網羅した内容となっている。
本編は怪獣図鑑だけでなく、キングギドラ対ゼットンなど制作会社を越えた怪獣同士の戦いを誌上で再現したり、怪獣の身長・体重や移動速度などを比べた「怪獣ギネスブック」、日本/世界各地で怪獣が出現した名所を紹介する「全世界怪獣マップ」といった企画は関連書籍でも多くあったが、”1966年『ウルトラマン』製作時円谷プロは予算を抑える関係で、ゴジラの着ぐるみを東宝から借り、一時的に改造してゴメス/ジラースといった別の怪獣に仕立てあげていた”といった制作裏でのエピソードをそれっぽくまとめているところが実に新鮮に映った。

で、なぜこのブログにこんな本のレビューを?とお思いかもしれないが、巻頭カラーの1頁にこのような謎のセクションがある。

ヒカシュー、ゲルニカなどのミュージシャンたちは大のゴジラファン。『ゴジラ伝説』というレコードを2枚もつくり、発表会にはゴジラ復活委員会のつくったゴジラも出席した。ゴジラは永遠のアイドルなのだ!
ヒカシューのキーボード、井上誠さんはファンがつくったゴジラと並んでゴキゲン♡ いくつになってもゴジラが恋人!

“ゲルニカ”は『鉄腕アトム』漫画版にカタツムリの群獣として出て来たけど、はて、”ヒカシュー”という名前はこの本の他の頁どころかどの怪獣百科にも載っていないし、どんな怪獣なんだ? と子供心には謎だった。
この”ヒカシュー”が日本のニューウェイヴを代表するバンドである事を知ったのは、ラジオ番組『アニメスクランブル』でOVA『オーガス02』(1993)の主題歌を担当した際に巻上公一がゲスト出演したとき。その頃にはヒカシューを脱退していた井上誠が属するイノヤマランドの存在を知るのはさらに数年後、文化として”テクノ”に触れた後の1998年だった。すでにCDで再発されていた1st『ダンジンダン・ポジドン』を中古で入手し聴いて驚いた。本書と同じ時期小学生の頃にビデオに録って何度も見た、恐竜がテーマの科学番組のドラマパートで印象的に流れていたBGMがこの2曲目「Pokala」だったのだ。
本文で触れられる東宝怪獣映画のシンセカバー集『ゴジラ伝説』はこの時点で2作目だったが、このすぐ後に3作目が、さらに時間を置きつつ2021年現在までに5作がリリースされている。昨今、イノヤマランドや、『ゴジラ伝説』に隣接するようにリリースされていたアニメ楽曲のシンセカバーアルバムもVaporwaveやニューエイジの流れで再度評価されてきているのが、なんとも時代が一巡したのだなと感じさせてくれる。
なお、『ゴジラ伝説』は2017年の最新5作目でヒカシュー本隊とも合流し、見事なプログレッシヴ・ロック的カバーアルバムを披露、現在も何度かライブを敢行している。

1984年末の『ゴジラ』は一般的な映画の評価としては芳しくなく、ゴジラ映画がシリーズとして定例化するのは5年後平成になってから、新たなスタンダードとなった名作『ガメラ 大怪獣空中決戦』が封切されたり、ウルトラマンの新作がテレビで放送されるまでには本書の時点から10年以上待たねばならず、その頃には自分は怪獣映画にさほど興味が無くなっていた(ただキャラクターとしての怪獣そのものには興味があって、ソフビは集めていた)。前述のパシリム、2016年の『シン・ゴジラ』、2018年のテレビアニメ『SSSS.GRIDMAN』で怪獣熱が少しずつ少しずつ再燃していくわけだが、本書でセレクトされている多くの怪獣達は少しずつアレンジされていきつつも、30年経った現在もおなじみの顔ぶれとなっている。それどころか完全にマニアックな一体だったボール怪獣セブンガー(『ウルトラマンレオ』1974)に至っては、2020年のウルトラマンシリーズ最新作『ウルトラマンZ』で防衛チームの主力戦闘ロボットとして登場、ソフビが即完売し本編終了現在も未だ再版と即完売を繰り返すなど、日本版パシリム的な人気キャラとなった。また、この『Z』自体も長らく試行錯誤と苦節の多かったシリーズ久々のヒット作となった。

本に話を戻すと、書かれているデータははっきりいって間違いが多い。これは1984年当時、ビデオデッキも出て来たばかりでそこそこ高額、手に入れられる資料も今と比べると圧倒的に少なかった所以なのかもしれない。
冒頭からいかにも1980年代を感じさせるオタク絵の少年少女2人と、『ウルトラQ』の一の谷博士(漫画やネットミームの典型的なおじいさん博士キャラの原型の一つだろう)を模したキャラクターが”怪獣迎撃隊MIC”として紹介され、隊員の心得として「宇宙人は怪獣とは全く違うもので、姿形は違えどきみと同じ文明を持つ人間なんだ。きみも宇宙人に怪獣扱いされたら嫌だろう?(※めっちゃ意訳です)」といった熱い拘りが数ページに渡って書かれる。本編の怪獣図鑑は”恐竜/植物怪獣/宇宙怪獣/ロボット怪獣…”といった風にさまざまな怪獣をジャンル分けしているが、前述のエイリアンこそ含まれるものの、なるほど確かにこの中にバルタン星人やダダなどの人語を話すヒューマノイド的宇宙人はあくまで除外されている(別稿内では触れられている)。
この博士キャラの名は「マチヤマ」と記される。彼に自分と同じ苗字をつけた本書の編集人はこの後宝島に入社、特撮怪獣映画の作り手たちは戦争や差別といった重いテーマを作品にどう込めていたのか?を解く『怪獣学・入門!』を1992年に刊行、その後洋泉社に移籍し、映画評論の新たな流れを作ることになる。

一昨年末、自分が編集を手がけた『新蒸気波要点ガイド』をパラパラめくっていて、レーベルにしろ<WOOD TAPE ARCHIVES>にしろ、なるほど自分は音楽ガイドに見せかけて怪獣図鑑が作りたいだけなのかもしれない、と気づいた。

ハニーナイツ みすず児童合唱団/ウルトラマンエース

ウルトラマンエースのOPテーマ。軍歌のような重々しいAメロから「いまだ 変身」の部分でSEと共にムードが一変し明るいマーチ調になる。かなり躁鬱っぽくテンションが大きく上下し結構エグいシンセ音がアウトロで炸裂してEND。大胆ね、エース。3番まであるから3回躁鬱を繰り返すので通しで聞くと労働の山場をヒロポンで凌ぐが如くで、エース大丈夫かとなる。

72年の本作を今再見するもスポ根流行の影響がチラチラしていてなんか乗れず。子供の頃は結構再放送で観ていたな。

大ボスのヤプールは別名異次元人で、いつもかなり異次元っぽい場所にいて指示を出していた。異次元だからほぼオーロラみたいなイメージのカットだけ。アレはイケてるとおもう。

話変わるけど帰ってきたウルトラマンでブラックキングの首をちょん切る回もなんかやたら観ていて。(その回の録画ビデオしかじいちゃん家になく、じいちゃんち行くと暇だから観まくっていた) 首を切る時に完全赤背景でちょん切れる首のアップになるのね、90度下向きになった顔を真横からのカットで。鈴木清順監修か?ってくらいの、アレはもう一度観たい。