Marhaug&Asheim/Grand Mutation

「壮大な突然変異」とでも訳せそうなアルバム名について考えたときに思い浮かぶのは、まず牙のようなパイプが無数に剥き出しになった馬鹿のように巨大な怪物楽器に”organ”という身体器官名と同じ名前が与えられていること、そしてDNAである。

Asheimが演奏するオルガンはMarhaugの電子楽器という突然変異の誘発物質を吸収してmutationする。ミサや祈りの場で厳粛な演奏をしてきたであろうオルガンは連綿と続いてきた宗教的、コミュニティ的役割が刻印された遺伝的本能から解放されて新たな自我を獲得する。潮が満ちる様に現れた音像は破壊と再生を謳歌する一方で、オルガン自身の身体上生成できるコードと音色、また配置された空間音響の制約から聴取者は祈りに似た情感を喚起されざるを得ないという、この対がスペクタクルを呼ぶ。

上記のように自分にとってはお固い電子音楽というよりは、怪物映画を観るのも良いけどこちらも良いよ、と謎の代替案を提示したくなるような意外にもスペクタクルに満ちた内容で面白く、ディスクユニオンで迷ったらTouch、というここ何年かの迷ったらTouch、の判断に間違いないなと確信した次第だが、これは実をいう電子レーベル名をmegoとtouchしか覚えられないだけなのである。

思うにオルガンより大きい楽器は存在するのだろうか。私の小学校は古関裕而という戦後音楽の重要人物にゆかりのある土地の近くに存在しており、地元には立派なパイプオルガンが設置されている音楽ホールが建っていた。小学校は合奏合唱祭という年に一度の催し物があり、各クラスが保護者の前で合唱を披露するのだが、そのステージのバックにはいつも巨大なオルガンが仏像のように鎮座していた。

合唱祭の唯一の思い出は合唱の途中パートにセリフがある曲を披露したこと。自分のセリフは「おーい恐竜さん!」というものであった。

本作を作った2名がコラボレーションを始めたのはノルウェーのオスロのall earsという即興音楽フェスがキッカケだったそう。2022年は1月に開催される予定で、叶うならば是非観てみたい。2回目のモデルナ接種で傷んだ腕を摩って突然変異を待っているわけにはいかないのである。

『三銃士』男達の声、狼の声

今回は3名のミュージシャンを紹介。この男たち、声帯が似ているのである。この手の声質が自分好みで、いずれも多量のアルコールやタバコで形成されたようなヨレ具合に癒される。

David E Williams

https://davidewilliams.bandcamp.com/album/banana-peel-slips-on-itself

ストレンジなカルトポップスの楽曲にこの声、ストレンジ、英語があまりわからないが歌詞も絶対変だという確信が各曲名から漂っている。レジデンスが好きな人ならこの名前はピンと来る気がするが自分がこのアーティストを知ったのはつい最近のこと。

この手の楽曲って何故かアメリカの森を感じます。例えばツインピークスのあの雰囲気とか。

ジョーダンテのハウリングという狼男の映画はアメリカの森でセラピーしようと思ったらそこが人狼施設ではちゃめちゃになるって話で。セラピーとか療養、小旅行しようとして現代文明には無い存在巻き込まれる話が良くある。個人の抱える抑圧されたものが現代文明が排除してきた獣性とか自然摂理(スピ?)によるもので、その排除側の表象として狼や信仰の存在が置かれているが、アメリカの森はそんなもの達が蠢いているイメージがある。

カナダ人ではあるがクローネンバーグは現代文明とレガシーの衝突を描くのが頭抜けていると思う。

ハウリングはドクタースリープ同様ヒッピーにその排除された存在を託しているが日本だとそういうヒッピー的な存在を登場させるにはなにがあるんだろうと、ふと上野公園で矢沢永吉で踊っている人達の群れが浮かんで(違うと思うので)消えた。かつてダッシュ村があった場所の近くに獏原人村というヒッピーコミュニティがあるらしいがフェスをやっているようなので訪れたことがある人が知り合いに居るかも知れない。福島の海側なので原発事故の影響下。ハウリングの話になってしまいました。

Dick el Demasiado

https://staalplaatlabel.bandcamp.com/album/celulitis-illuminati

デマシアドは色々整理したいので別投稿にしますがここでは声質の三銃士として掲載、最初に挙げたwilliamsはデマシアドの変名と言われたら信じた。

michael zvezdinsky

ロシアの蚤の市で買ったカセットのうちの一つがこの人のものだった。上記2名とは路線が異なり堂々とチャートインしてそうなロシアンポップス、Spotifyでも聴けます。陽水など80年代歌謡曲が好きな人におすすめです。

「ポゼッション」アンジェイ・ズラウスキー


某日のメモから

新文芸坐で二本立て。「アングスト/不安」は主役が友人に似てるように見えたり、音楽、内容も楽しめたが、その次の「ポゼッション」の方がはるかに凄まじかった。

前々から観たかったがなかなか機会がないままだった「ポゼッション」よりも先に、昨年冬エアコンが壊れていることに気が付かずに、自宅へ遊びに来てくれた先輩が持ってきてくれた「シルヴァーグローブ」を見ていたこともあり、この映画について必ず言及されるであろう、アジャーニの怪演(というか頑張り?)だけにとらわれてしまうことなく、また、監督自らが実人生〜離婚〜裏切り、不信や、戦争、思想、について思いを馳せながら、最後の15分だけがファンタジーだという韜晦?は知らず、つまり前知識なしで素直に鑑賞し、同じ俳優が同じ役周りとして出ているジョン・カーペンター「マウスオブマッドネス」との相関から、これは邪神誕生の映画ではないかという気がしたのだった。
「銀行に入れる時はクリーン、出すときは汚れている」と浮浪者(野次馬)に叫ばせていることから、一度(向こう側へ)入れたXが(この世に)出る際、あの様に汚れて(奇怪な姿として)現れるという…

地下鉄でアジャーニが泣き叫ぶシーンから、もう何年も前に観たきりだけど、「灰とダイヤモンド」、もがき、踊る(ようにみえる)シーンばかり繋いでゆけるのではないかとか(いやそれができたとして観たいかという)。

あの地下鉄の反対側では、Zero setが鳴っているなんていう、騒がしい地下鉄の映画なら、観てみたいかな。

「神は疫病である。」
「疫病によって人は神を知る」