Marvin Pontiac /The Legendary Marvin Pontiac Greatest Hits

ラウンジ・リザースのメンバー、ジョン・ルーリーを中心としたプロジェクト、マーヴィン・ポンティアックのベスト・アルバム。

本作はマーヴィン・ポンティアックという架空人物系ユニット。中野区区役所の書類申請の見本に例えば「中野太郎」と書いてあればこれは見本用の偽名だな、と日本人はわかる。おれが例えば「相撲山寺々」となのれば芸名とわかる。マーヴィン・ポンティアックはアメリカ人から見れば偽名と分かるのか?名前は割と高度な文脈が存在する。(例:ジョンスミスという名前は山田太郎的なありふれ感があるため逆に偽名であることを意味している、というような。ところでバンド、ザ・スミスは敢えて良くあるスミスという名前を採用したんじゃなかったっけと知り合いが言っていた。)

サミットのインスタパン屋の名前は「ダン・ブラウン」、これにおれ勝手に、おそらく間違いなのであろうがジョンスミスを感じている。間違ってるとうっすら思いながら信じる。このうっすらが大事で、うっすらは薄ければ薄いほど良い。つまり無意識で否定しながら理性は受け入れている状態。うっすらの勘違いを入れ込む余地が有れば必ず入れて、うっすらの勘違いの世界に住む。そうすると想定外のところで文脈はズレて創作的ものが発生する、創作物として結実するかは別だが。

おれのうっすらした勘違いの例は年齢で、毎年誕生日が来て初めてはっきりした年齢を意識するが、誕生日まではうっすら年齢を高く勘違いしてるから毎年一年若くなっている。俺は34歳だと思っているが実際は33歳らしい。

音源を聴いたことないバンドをなんとなく認識している正しく文脈から不自然でない範囲の、かつ間違った音像を意識し、バンド名に音像を叩き込む。

友人はスエードをシューゲだと思ってたが実際違っていたらしい。恐らくシューゲでない気もするが無意識ギリでシューゲを名前から感じ、それが仮の知識として脳にストックされていたのではないかと勝手に思っている。シューゲでないとわかったとき、多分喪失感があったのではないか。自分なら間違いなく感じる。

福島出身だと言ったら友人から「オノヨーコは福島出身だが、思うに東北の封鎖的な土壌が糧となりあの前衛性が宿ったのでは?」と言われて、「いやあのオノヨーコが福島出身なら流石なおれが知はないわけない」とうっすら思い立つ友人の弁にホーと関心したが、その後オノヨーコの出身地を調べてしまった。東京の裕福な家庭出身だった。喪失!これは明らかに検索すべき事項ではなかった。

致命的でない勘違いがあり、それが外部からの情報で正しく補正されたとき驚きと共に喪失感を感じる。喪失してるなら何かをもたらしてたということだろう。高カロリーのものを2種摂取するとカロリーは相殺する、というのはサンドイッチマンの有名なネタだがこれはうっすら勘違いだと思う。この話をあり得ないと思いながら敢えて信じる、その後ミリミリ体重を追って、その結果正しく太っていたらこの相殺拳からは乾いた喪失感と共にユーモアも逝く。

食後にコーヒーを飲みながら目を閉じて感じまくること。味蕾の刺激がスイッチとなり脳が痺れながら快感を感じる。俺はそういう実感をするが、これは「食後の血糖値の上昇を抑えるインスリンの分泌により血糖値が急低下してブドウ糖が不足し意識がボヤッとする」という知識で漂白され悲しくなる。

これは間違い知識を集めろ、という話ではない。知識を正しく集めることとうっすら勘違いを重ねることは相反するようで両立が可能だ。

ダラダラしたので着地。このアルバムもそういううっすら勘違い系のズレを感じなくもない。そんなこじつけを、と思うだろうが、こじつけのようで本当にそう感じから面白い

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