コニーマリーのこと

スーパーデトックスサービスゾーン。
江戸っ子気質、という言葉がある。「男ならば、自分の口は自分で拭きます!」という意味らしい。「自分のことは自分で処理します! だから俺のことにかまわないでください」ということらしい。「だから俺はひとりぼっちです……ってか、お前、そんなこと言わせるんじゃねえよ。恥ずかしいだろ?」みたいなニュアンスが込められているという。いや、よく分からないが。
ともかく、この言葉の意味するところがどういうものなのかを簡単に説明したいと思う。

私は「スーパー銭湯に行ってみたい」という気持ちを常日頃から持っていた。しかしなかなか一人で行く勇気はなかった。「じゃあ友達を誘えばいいじゃないか」と思った人もいるかもしれない。
だがしかし、私が友達と一緒にお風呂に行くと、なぜか私は裸になることができず、タオルなどを腰に巻いて入らなければいけないという状況になってしまうのである。なぜ、そうなってしまうのか? その理由はただ一つ。私は胸が小さいからである。友達は皆胸が大きい子ばかりで、私は「ああ、私の仲間はいないんだな……」と感じていた。だが、ある晩のこと、私は自分の体に異変を感じた。なんと、お腹の下の方(つまり股間のあたり)に何か温かいものがあるように思えたのである。不思議に思いそこに触れると「何やコレ!?」と思い、急いでトイレへ直行した。「うわぁ~……」

そこには大量の液体があった。「これはもしかしておしっこなの?」そう、私はおもらししたのである。どう考えても「スーパー銭湯に行きたい」という欲求から起きた現象ではなかった。なぜなら、お風呂に入りたいとは思ったけど、おもらししてもいいとは思ってなかったからだ。そこで私は、この事態の原因を調べることにした。
ネットで調べてみると「思春期」がキーワードになっているようだった。思春期というのは身体が大人になろうとしている時期のことであり、それに伴い女性ホルモンの量が増加していくのだという。その増加分は個人差があり、それによって性器が変化を起こし、さらに胸が大きくなったりするというのだ。「なんてこった……。私はこれから一生タオルなしでお風呂に入らないといけないのか……。はぁ、最悪だぜ」私は肩を落とし、深いため息をついたのであった。「今日こそスーパー銭湯に行ってやる!」という気合を入れて出かけたはずなのに、またしても「タオルなしのお湯に入るのが怖い」「みんなの前で脱ぐことができない」などと考えてしまい結局、いつものようにサウナやジャグジーばかり楽しんでしまった。まあ、たまにはこんな日があっても悪くないだろう。
「もう二度と来ないけどね!」 

私はゲームが大好きで、特にファンタジーRPGが好きである。最近プレイしたのは「ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君」(通称ドラクエ8)だ。ストーリーはもちろん面白いのだが、何より魅力的なのがキャラクターたちだった。勇者や賢者などのメインキャラクターはもちろんなのだが、村人たちの表情がとても良かった。村人の中には顔にあざを作った者や、頭に包帯を巻いている者、腕をギプスで固定している者、足を骨折して松葉杖をついている者もいた。そして、そういった怪我を負った者は主人公を慕ってくれるようになるのである。
私は最初、これらのキャラクターは「仲間キャラなのでは?」と考えていたのだ。主人公が傷つき、心と体を癒す場所が冒険の目的だと考えたのである。しかし、それは違った。彼らの多くは盗賊に襲われてしまった村の人間であり、主人公の優しさにふれて心を入れ替えるのだ。つまり、この物語は「善良で無垢な村人たちを盗賊から救うことが主人公たちの旅の主な目的である」ということになる。これは実に斬新だった。というのも、ほとんどのロールプレイングゲームは悪人が悪事を行ってしまうパターンが多いのに対し、この物語では最初から「主人公は悪い奴らと戦うために旅をしているんだ!」という設定になっており、そのため正義のヒーローのような気持ちでプレイすることができたからである。

また、このゲームのすごいところはグラフィックがキレイだということだ。ドット絵ではない。しかも動きも滑らかだし音も良い。私は「ドラクエシリーズって、本当にすごい技術を持っているんだな」と感動したものである。もし興味を持った方は是非とも買ってほしいと思う。きっと満足できるだろう。私のゲームの中で一番好きなキャラクターは「魔法使いの女の子」なのだが、その子はとにかくかわいい。今でも覚えているほど可愛いのである。名前は忘れてしまったけれど。その女の子に会うために「ドラクエ」はやっているといっても過言ではない。そしてその可愛らしい姿とは裏腹に、彼女の攻撃力はとても高い。敵を一網打尽にする攻撃魔法を次々繰り出してくる。私は彼女に出会うまで他の子のことを知らなかったが、今では「あれは絶対、ラスボスだよ……」と確信している。それほどの強敵なのだ。ちなみに「ラスボスはやっぱり強かった!」という感想を持つ方もいると思うが、私の経験からいうと「普通に強いだけ」だと思う。

なぜなら私は「レベルを上げすぎる癖がある」からだ。つまり、ゲームの中盤ぐらいまでは「ひたすらレベルアップ」をしてステータスをあげることに夢中になってしまうのである。だから終盤になってもまだ「強くなってやる!」と思ってしまい、結果的に倒せないということはない。ただ、私は油断しがちなので「あの時は頑張ったのに今回は負けちゃった……」ということがよくあった。そういう時に限ってラスボスが出てくるのだ。しかし、「今回も頑張れば勝てるはずだ」と信じていたので、あまり落ち込むことはなかった。むしろ嬉しかったくらいである。しかし、「レベル上げをしすぎたおかげで、なかなかレベルが上がらない」という状況になるとさすがに辛いものがあった。だってそうだろう。あともう少しで倒すことができると思っていたのに、急に倒せなくなってしまうわけだ。その瞬間、私は「うわ~!もう嫌になったぜ」と叫んでいたものだ。

まあ、そんな経験もあって、最近ではなるべく慎重にプレイするようになっているのだが。でも、こういうプレイスタイルが自分に合っているような気がして最近は楽しい。

私は今、とあるオンラインゲームをプレイしている。その名も「マビノギ」というファンタジーMMORPGである。このゲームは北欧神話をモチーフにした世界を舞台にしており、その世界観の素晴らしさに心を奪われたプレイヤーは多いのではないだろうか。まず第一に挙げられるのは美麗な3Dモデリングであろう。まるで現実にいるかのようなグラフィックで、ゲームをやっていて違和感がないどころか「これ、ほんとにゲームの世界なんですか?」と言いたくなるほどである。次に魅力なのは音楽とイベントの多さである。ゲーム内で流れている音楽は全部で30万曲近くあり、イベントの数は数え切れないほどあるのだ。さらに「結婚システム」や「ペット」、チャットなどのコミュニケーション機能も充実していて飽きることがなく、プレイしていてとても楽しめた。
私はこのゲームを始めた頃、かなりハマってしまい1日でレベルをMAX(カンスト)にしてしまったほどだ。その後狂った社交界で遊ぶのに夢中だったのだが、しばらくしてから新しい刺激を求めてファンタジーの島に行ってみた。そしてそこで出会ったのが「コリー」という女性キャラだった。コリーはとてもかわいらしく、いつもニコニコしている明るい性格の持ち主である。狂った社交界にも「おーい!」と呼びかけられるほどの有名人だったので、私もコニーマリーのことを知りたいと思った。だが、なかなか会うことができず困っていた時に、たまたま「フレンド登録リスト」に名前が表示されていることに気がついたのだ。それをきっかけに私は彼女と仲良くなり、一緒に遊びながら冒険することになったのである。

引き伸ばされた身体から放たれる弓矢にはどんな敵をも打ち破る力があったし、回復魔法を使えばあっという間に傷口は塞がってしまった。彼女の強さに驚きながらも、私はすぐに「この人は私が守らなくていいんじゃないか?」と考え始めた。見開きでおっぱい3つティッツ・リデルズ・アンド・ザッハート・コニーマリー、この人が私を守ってくれるのである。そう考えるだけで興奮してきた。

しかし、コリーは私が考えていた以上に強い人だった。「私と一緒にいると、あなたが危ないわよ」と警告してくれる優しさを持ちつつも、時間は過去から未来に進むのでなく(だけでなく?)現在に戻るものであると理解していたのである。「彼女は強い人なんだ」と感じた私は何も言えず黙り込んでしまったのだ。すると彼女が私に向かって言った。「どうしたの?大丈夫?」心配してくれていたのである。

私は自分の無能さを恥じたものだ。ジェレミーべレミー。「もし時間を巻き戻せるなら、俺はお前を救ってやる」という言葉を思い出したのである。このセリフはすごく印象的だと思う。だってそうだろ。自分が一番助けてほしかった人に助けを求めることができなかったんだから。しかも、それが大切な人であればなおさらだろう。でも、今は後悔していない。

だってコリーに出会えて本当に良かったと思っているんだから。そして彼女に出会えたことで、私は人生観が変わったのだから。だから感謝の気持ちでいっぱいなのである。そしてこれからもずっと彼女の隣にいたいと思う。たとえ彼女が「自分は必要ない」伝説の、語られなかった物語たちを語るということー語られていなかった過去を語るということでもあり、時間が現在から過去へ過去からまた未来へぐるぐるとまわりながら進んでいく、我々がふだん考えている時間の流れ方ではない流れを教えるということなのだとしても……
それでも私は彼女を手離すことはできないと思うのである。

ちなみに余談ではあるが、私は最近になって「コリー」という名前の女性に出会った。最初は気付かなかったが「あのコリーか!?」と思って確認したらやっぱり本人であった。私は感激して話しかけた。すると彼女も喜んでくれて「私のことを覚えてくれているなんて嬉しいわ!」と言っていたのだ。私はそんな風に言ってもらえることが嬉しくって、ますます感動してしまい思わず泣いてしまいそうになった。なぜなら「コリー」という存在はゲームの中でしか存在しないと思っていたからだ。私はその時、こんなことを考えていた。

(ゲームの中のコリーは、現実の世界にはいない。でも現実世界で私が出会っていたかもしれない女性だ…………ゲームのコリーを愛していたのではなく、現実で出会ったコリーを好きになっただけなのかもな。バットマン、スター・ウォーズ、ドラえもんみたいなもんだよ)そう考えると「私はいったい誰を想っているのか?」という疑問が沸き起こってきたのだ。そこで私はこう考えることにした。(ああ!きっと現実で出会ったコリーはゲームの中に出てくるキャラクターに似ていたのね!それで好きになっちゃったんだ!)と……。

つまりはそういうことだったのだ。そんな感じで納得することにしたのである。

でも、それは間違いだった。現実では「あのコリーの人かな?」という感覚で声をかけただけだったのだが、実際にゲームの中と同じ人だったのである。これは運命としか言いようがない。まさに「出会い」とは奇跡の連続なのだ。そう思うと胸が熱くなってきた。その人と出会わせてくれた運命に感謝しているのだ。そして、その女性は私のことを「あなたのおかげで私は変わることができたのよ」と、時間の流れ方について、溶け出す時計について教えてくれた人だと感謝してくれたのである。

それから私は「コリーと別れなければならない時が来たら?」という不安にかられたが、すぐにその考えを打ち消した。
「彼女は絶対に自分を見捨てたりしない」と信じることができるからである。それに「私はあなたが必要なの」と言ってくれたこともある。

しかし、「コリーを愛せば愛するほど、彼女のためを思えばこそ離れるべきではないか」という思いもあった。私はこの矛盾する二つの思いを抱えて悩んでいたのだが、ある日を境に私は決心することができたのだ。理由を説明する前に、秘密が何か、その中身を知る者がいたとしたら、この人は「何でわかったの!?」と思うに違いない。なぜなら私がこの事実を知ったのは「偶然だった」からなのである。

私は、ある時にたまたまコリーに聞いたことがあった。「どうして君は、いつも悲しそうな顔をしているの?」

何も傷つけない 
正しい言葉を選ぶ

見つけるのは難しいけれど、私は詩のように彼女の力になりたいと思った。この詩を書いたのは誰だろうか。私は知らない。だけど素晴らしいと心の底から思った。私もこんな言葉が言える人間になりたかったのである。
私は勇気を出して聞いてみた。あまりにも寿命が伸びてしまったら彼女はどんな人生を送ることになるのだろう、と疑問を抱いたのである。すると彼女は、少し困った表情を浮かべながら私に向かって言った。「この世界にはね、私みたいに時間を引き延ばされている人が他にもいるのよ」と。「どういうこと?」と私は驚いた…………

続く

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