「ポゼッション」アンジェイ・ズラウスキー


某日のメモから

新文芸坐で二本立て。「アングスト/不安」は主役が友人に似てるように見えたり、音楽、内容も楽しめたが、その次の「ポゼッション」の方がはるかに凄まじかった。

前々から観たかったがなかなか機会がないままだった「ポゼッション」よりも先に、昨年冬エアコンが壊れていることに気が付かずに、自宅へ遊びに来てくれた先輩が持ってきてくれた「シルヴァーグローブ」を見ていたこともあり、この映画について必ず言及されるであろう、アジャーニの怪演(というか頑張り?)だけにとらわれてしまうことなく、また、監督自らが実人生〜離婚〜裏切り、不信や、戦争、思想、について思いを馳せながら、最後の15分だけがファンタジーだという韜晦?は知らず、つまり前知識なしで素直に鑑賞し、同じ俳優が同じ役周りとして出ているジョン・カーペンター「マウスオブマッドネス」との相関から、これは邪神誕生の映画ではないかという気がしたのだった。
「銀行に入れる時はクリーン、出すときは汚れている」と浮浪者(野次馬)に叫ばせていることから、一度(向こう側へ)入れたXが(この世に)出る際、あの様に汚れて(奇怪な姿として)現れるという…

地下鉄でアジャーニが泣き叫ぶシーンから、もう何年も前に観たきりだけど、「灰とダイヤモンド」、もがき、踊る(ようにみえる)シーンばかり繋いでゆけるのではないかとか(いやそれができたとして観たいかという)。

あの地下鉄の反対側では、Zero setが鳴っているなんていう、騒がしい地下鉄の映画なら、観てみたいかな。

「神は疫病である。」
「疫病によって人は神を知る」

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